Supercharged Brough Superior

過給器付Brough Superiorは、4台が制作された。
最初に製作されたと見られるE.メイヤーのレコード・アタック・マシン、フレーム・足周りは市販車に近い構成となっている。1930年のモーターサイクリング誌に1930年7月23日 レコード・アタック・プレビューの記事が掲載されている。
(Photo : Brough Superior Club Library)
英モーターサイクリングの記事が1930年の月刊オートバイで紹介されている。
(資料提供 日本二輪史研究会)
E・ファニホフ、彼のブラフは戦後マンクス・ノートンを手がける名チューナー、フランシス・バートやリチャード・チャップマンにより高度なチューニングが施されていた、1936年から1937年にかけて2輪とサイドカーの絶対速度記録を5回更新した。さらなる記録更新を目指した彼であったが、1938年4月
ハンガリーのジオンにおいて記録挑戦中に事故死してしまう、ブラフは激しいクラッシュにより復元不能となるが、エンジンはN・ポープが譲り受ける。
1937年4月19日 ソロマシン
フライングキロメートル 169.8mph
1937年4月19日 サイドカーマシン
フライングキロメートル 137.1mph
1930年に完成し翌年からレースに参戦した名手バリー(Edwin Charles Ellis Baragwanath)のブラフ、1933年に記録したブルックランズ・サイドカークラスラップレコード103.97mphは、5年間破られなかった。ブルックランズ・サーキットは、Rの異なる2カ所のバンクを持つ全長約3マイルのオーバルコースで1907年から1939年までレースが行われた、このコースで記録を残すにはマシンの性能は、もとよりバンクを走る技術と荒れた路面の場所を熟知した経験が必要だった。ファンの多かった彼のブラフは、B,B,B,B, (Barry's Big Blown Brough)という愛称で呼ばれた、バりーの引退後マシンはN・ポープに売却された。 オーストラリア・チームのAブルースのブラフは、A・シムコックと後にビンセントのデザイナーとなるフィル・アービングによってチューニングされ、1932年4月サイドカークラスの絶対速度記録を達成した。記録達成の後マシンは解体された。
1932年4月30日 サイドカーマシン
フライング・キロメートル124.3mph
1938年4月12日バリーのBroughに改良を加
えたN.ポープは、106.6mphのブルックランズ
サイドカーラップレコードを記録した、この記
録は、ブルックランズ閉鎖時まで破られずオ
ールタイムレコードとなった。
バリーのエンジン(8/50JTOS/W・1930年型)を使い続け
ていたN.ポープは、1938年のシーズンオフにE.ファニホ
フのエンジン(8/80JTOS)に転装した。
1939年7月4日ソロマシンによる
ラップレコード124.51mphを記録
し、これもオールタイムレコードと
なった。
1949年ボンネビル・ソルト・フラッツ・コースでの絶対速度記録挑戦にむけて準備を行うN.ポープ。
エンジンは、8/80JTOSから戦後最新型のJTOSに積み換えられた。